どうもかつたですこんばんは
更新さぼーりぼりしてました
去年は腕の神経鞘腫の手術をした後ぐらいからいっきにいろんな事が変わってしまって、変革的な年だったように思います
家も職場もかわって、バンドも始めて、あとはこの体がかわれば違う人になっちゃいますな
もう年明けて25日もたちましたが、今年もよろしくお願いします
そんななか、去年末あたりから気になる事ができて、少しずつ調べていた事があります。
よく、
「どこかの国の血がまざてそうよね」
ていうようなことをよく言われておりました
「あ〜そうかな?よくいわれるけど」
とは返していたものの、別にそんなに気にしていませんでした
かるく親にきいてみても、
「あそうね〜、姉ちゃん(母親の姉)もよくそがん言われよったよ〜」
ぐらいしか言われなかったのでした
母親の見ためは、強めの天パですが髪は真っ黒、背は小さくて顔は日本人的ですが目がくぼんでます
しかし目は薄茶に少し青みがかった色をしてるので、
「それは病気か?」
ときくと、
「いや〜母さんのきょうだいもじいちゃんも、こがん目しとるばい」
と。
そのあたりから何か引っかかっていたのだけど、そのままにしときました
そんなこんなで、こっちではあまりにも「まざってるのか」言われるので、とうとう気になって、真剣に母親にきいてみました
そしたら出てくる出てくるあやしい証言
「そういやばあちゃん(母親の母)のお兄さん、みためあきらかに日本人じゃなかったねーあれは。かーっこよかった〜ばい、むふふ(笑)」
「ばあちゃんも青くはなかったけど、目薄茶やったね〜」
「じいちゃんも当時にしてはすらっとしてて背高くて目鼻立ちよかったしね、たしかに日本顔じゃなかねー」
↑
(これはこの前帰省したとき写真見たので私も確認済み)
「そういや母さんのきょうだいも混ざっとるのかきかれよったね〜、特に姉ちゃん。今はこがんしわしわやけんあんまわからんやろうけど、母さんも言われよったばい(笑)姉ちゃんはけっこう美人で有名やったよ、頭も良かったしねー」
とな。
母さま、なぜにそこまで言われて今まで気にしてこんかったと!??
と突っ込むと、
あんま興味ないから
だそうで
ああそうですか
確かに興味持たなかったらたいした事でもないしな...
と思いつつ
気になったので先祖について調べてみようと少しずつですが調べていきました
私の母方の家系は長崎の人間で代々キリスト教のカトリックでした
隠れキリシタンでした
後に、大浦天主堂のとこでフランスの宣教師らによって発見され、もう、出て来てもいいと知らされ、、、
今に至ります
さくっと言えばこういうことなんですが
さくっといえば
しかし、この前も、この後も、歴史の教科書には載ってないことがたくさんありました
隠れキリシタンときくと、
天草四郎?島原の乱?などきかれますが、
それはすこし違うんですね
私も知りませんでしたが...
調べれば調べるほど、長崎という土地がいかに激しい土地であったか....
びつくりびつくりー
そして、アタイの先祖がこの激しい土地長崎の歴史に絡まれてもまれてもまれまくってきたか...
調べたものを母さんに電話してきくと、「そうそう、ひいじいちゃんそれで亡くなったとよ」
というのも出てきつつ、惨すぎてふるふるしちゃって、がっつり凹んだりもしました
しかも、歴史から抹消されたことで、最近の調査でわかって来た事がほとんどという
島原の乱なんかも、骨出て来たの最近だから
骨出て来たときにちょうど出くわした母さま、いったい何者?...www
書く事たくさんありすぎて、まだうまくまとめきれないのです...
しかし、続きは書こうと思います
項目として、
●隠れキリシタンについて
●出島がある頃の長崎
●ひいじいちゃんの「五島崩し」五島列島久賀島
●じいちゃんとばあちゃん
●じいちゃんのお仕事とその時の日本と長崎
↑
これらの歴史や先祖の生活などを照らし合わせたりした結果、
どうやら、ばあちゃんもじいちゃんもどこかの血がまざてるみたいです
までしかわかりません
この時代は、キリシタンてだけでも、混血ってだけでも殺されたり、追放されていた時代なので、
どこに密告するやつがいるかわからないので、素性は決して話さなかったようです
密告によリたくさんの命が奪われることがそこらじゅうでおこっていたので..
なので語り継がれる事無く、そしてみんな亡くなっていき、今ではだれもわからない事だらけになってしまっているのです
私はこの先祖の話をきいて、年末年始帰省したときに8年ぶりぐらいに教会のミサにあずかりました
そんなやつです
26聖人が殉教した西坂の丘にある、聖フィリッポ西坂教会にいきました
設計は日本二十六聖人記念館同様今井兼次氏によるもの。彼は昭和の初め頃、スペインの有名な建築家アントニオ・ガウディを日本に紹介した有名な人物。
と説明が
ここには彫刻家、舟越保武さん作の「二十六聖人像」があります
じいちゃんはラテン語ペラペーラで、フランス人神父さんのお世話しとったみたい
(ここら辺のお話はまた今度)
カトリックの中ではラテン語が公用語で、聖歌にも使われとるし、私も知らない間にラテン語の歌詞で歌っていたという...
血筋が気になっての調べものがこんな衝撃的な展開になるとは思いもよらず
若干、血の事はどうでもよく...あ、そんなことないです...
つづく...
更新さぼーりぼりしてました
去年は腕の神経鞘腫の手術をした後ぐらいからいっきにいろんな事が変わってしまって、変革的な年だったように思います
家も職場もかわって、バンドも始めて、あとはこの体がかわれば違う人になっちゃいますな
もう年明けて25日もたちましたが、今年もよろしくお願いします
そんななか、去年末あたりから気になる事ができて、少しずつ調べていた事があります。
よく、
「どこかの国の血がまざてそうよね」
ていうようなことをよく言われておりました
「あ〜そうかな?よくいわれるけど」
とは返していたものの、別にそんなに気にしていませんでした
かるく親にきいてみても、
「あそうね〜、姉ちゃん(母親の姉)もよくそがん言われよったよ〜」
ぐらいしか言われなかったのでした
母親の見ためは、強めの天パですが髪は真っ黒、背は小さくて顔は日本人的ですが目がくぼんでます
しかし目は薄茶に少し青みがかった色をしてるので、
「それは病気か?」
ときくと、
「いや〜母さんのきょうだいもじいちゃんも、こがん目しとるばい」
と。
そのあたりから何か引っかかっていたのだけど、そのままにしときました
そんなこんなで、こっちではあまりにも「まざってるのか」言われるので、とうとう気になって、真剣に母親にきいてみました
そしたら出てくる出てくるあやしい証言
「そういやばあちゃん(母親の母)のお兄さん、みためあきらかに日本人じゃなかったねーあれは。かーっこよかった〜ばい、むふふ(笑)」
「ばあちゃんも青くはなかったけど、目薄茶やったね〜」
「じいちゃんも当時にしてはすらっとしてて背高くて目鼻立ちよかったしね、たしかに日本顔じゃなかねー」
↑
(これはこの前帰省したとき写真見たので私も確認済み)
「そういや母さんのきょうだいも混ざっとるのかきかれよったね〜、特に姉ちゃん。今はこがんしわしわやけんあんまわからんやろうけど、母さんも言われよったばい(笑)姉ちゃんはけっこう美人で有名やったよ、頭も良かったしねー」
とな。
母さま、なぜにそこまで言われて今まで気にしてこんかったと!??
と突っ込むと、
あんま興味ないから
だそうで
ああそうですか
確かに興味持たなかったらたいした事でもないしな...
と思いつつ
気になったので先祖について調べてみようと少しずつですが調べていきました
私の母方の家系は長崎の人間で代々キリスト教のカトリックでした
隠れキリシタンでした
後に、大浦天主堂のとこでフランスの宣教師らによって発見され、もう、出て来てもいいと知らされ、、、
今に至ります
さくっと言えばこういうことなんですが
さくっといえば
しかし、この前も、この後も、歴史の教科書には載ってないことがたくさんありました
隠れキリシタンときくと、
天草四郎?島原の乱?などきかれますが、
それはすこし違うんですね
私も知りませんでしたが...
調べれば調べるほど、長崎という土地がいかに激しい土地であったか....
びつくりびつくりー
そして、アタイの先祖がこの激しい土地長崎の歴史に絡まれてもまれてもまれまくってきたか...
調べたものを母さんに電話してきくと、「そうそう、ひいじいちゃんそれで亡くなったとよ」
というのも出てきつつ、惨すぎてふるふるしちゃって、がっつり凹んだりもしました
しかも、歴史から抹消されたことで、最近の調査でわかって来た事がほとんどという
島原の乱なんかも、骨出て来たの最近だから
骨出て来たときにちょうど出くわした母さま、いったい何者?...www
書く事たくさんありすぎて、まだうまくまとめきれないのです...
しかし、続きは書こうと思います
項目として、
●隠れキリシタンについて
●出島がある頃の長崎
●ひいじいちゃんの「五島崩し」五島列島久賀島
●じいちゃんとばあちゃん
●じいちゃんのお仕事とその時の日本と長崎
↑
これらの歴史や先祖の生活などを照らし合わせたりした結果、
どうやら、ばあちゃんもじいちゃんもどこかの血がまざてるみたいです
までしかわかりません
この時代は、キリシタンてだけでも、混血ってだけでも殺されたり、追放されていた時代なので、
どこに密告するやつがいるかわからないので、素性は決して話さなかったようです
密告によリたくさんの命が奪われることがそこらじゅうでおこっていたので..
なので語り継がれる事無く、そしてみんな亡くなっていき、今ではだれもわからない事だらけになってしまっているのです
私はこの先祖の話をきいて、年末年始帰省したときに8年ぶりぐらいに教会のミサにあずかりました
そんなやつです
26聖人が殉教した西坂の丘にある、聖フィリッポ西坂教会にいきました
設計は日本二十六聖人記念館同様今井兼次氏によるもの。彼は昭和の初め頃、スペインの有名な建築家アントニオ・ガウディを日本に紹介した有名な人物。
と説明が
ここには彫刻家、舟越保武さん作の「二十六聖人像」があります
じいちゃんはラテン語ペラペーラで、フランス人神父さんのお世話しとったみたい
(ここら辺のお話はまた今度)
カトリックの中ではラテン語が公用語で、聖歌にも使われとるし、私も知らない間にラテン語の歌詞で歌っていたという...
血筋が気になっての調べものがこんな衝撃的な展開になるとは思いもよらず
若干、血の事はどうでもよく...あ、そんなことないです...
つづく...
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by katsuemi
| 2011-01-26 01:19
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